zerome.me

作成ツール 証明ツール

zerome.me はなぜ利用されるのか

「わたしが描いた」と技術的に説明できることは、単に権利の主張を補強する効果にとどまらないと考えています。 それは、作品が生み出されるまでに要した時間や費用、あらゆるコストを支払った証明であり、その活動を世間や世界に対して技術的に補足説明する効果があると考えています。ひらたく言えば、このサービスは、人間が人間として絵を描いていることに価値があると考え、その証明を技術的に支援する(したいという)意図があります。

01.ピクセルの価値

「人間が人間として描く絵」の意味は、とても難しいものがあります。昨今は画像の複製にとどまらず、複製に近いような(?)生成物が秒単位でインターネット上に公開されるようになりました。これに対する批評や権利に対する立場表明は浅学のため控えたいと思いますが、一方で現状をコントロールできなかった場合でも、「人間が描く絵に価値がない」ことはありえないと考えています。 人間が描いたという価値は、相対的なものではなく作者の存在と同じように絶対的な事実であり、代替できません。言い換えれば、第三者の視点で「どっちの絵が魅力か」ということや「商業的にいくらか」ということと、その作品の価値は無関係であるということです。 たとえばある作者が時間や金銭を注いだのだという事実が、それをみる人に畏敬に近い感情を呼び起こすものだということです。

しかし、その価値の帰属を判定するのは著しく難しくなっていると考えています。たとえば、まさにこのイラストはわたしが描いたのに生成を疑われたというのは、その顕著な事例であると思います。このような誤認の余地が世界に残っている以上、最終的に価値の帰属つまり利益は、作者に還元されづらい構造的な欠陥を維持することになります。

02.世界とオリジナルの境界

このような背景や理解で zerome.me が、少なくともこの作者が描いた絵であるというような人間と作品の結びつきを表し、人間の範囲を明確にできる証明装置の役割を果たすよう作られました。

画像そのものに対する処置を行うことで、インターネット上での画像に対する意図しないメタデータの削除やJPEG圧縮に耐えうるものとなり、オリジナルとそれ以外の境界線を引きます。(オリジナルであるとzerome.meで証明できなかったとしてもそれは権利の放棄とは考えていません。)

しかしながら、この解決策は万能ではなく、生成物がなんらかによって発生させる価値の帰属に対しては消極的です。少なくとも作者が直接作成した世界の維持という内向きなサービスであることは、認めなければなりません。

03.サービスの対価

なぜ、クリエイターの方が課金して利用しなければならないのか。

サービス開発者はこれまで多くの生産者との接点があり、憧れや尊敬をもっていました。 そのため、この生産者がいかにして利益を得るか、もっといえば金銭的なコストを消費者が支払うことで生産者に還元できないか、と半ば信念として捉え、さまざまにサービスを夢想していました。 これはある種の反骨的な精神の一つで、生産者がソフトウェアプラットフォーム的なビジネスで人が人を使うブローカーが利益を得ている、と世界を捉えて、利益構造を変えたいという願望でありました。

一方、そのようなサービスを含むあらゆるビジネスは、株主のために存在し、その次にクライアントに価値を提供するものであると、様々な出来事から理解し始めました。つまり、株主をのぞけば、最終的にお金を支払っている人に向けてサービスや価値は交換されるという事実です。 わたし個人的な例をあげれば、フリーランスと企業のITエンジニアの斡旋ビジネスの多くは法人向けのサービスであり、なにかトラブルがあれば、当然にお金を支払う企業が優先されます。これは愚痴ではなく、構造上は当然のことでまっとうです。 このように捉え直すと、価値を提供したい相手からコストを支払われるほうが健全の可能性があり、開発者個人としてやりたいことを実現できると考えるに至りました。このようにして、zerome.me で価値を提供する対価は、電子透かしを利用する方にお支払いいただく決断をしました。